ノボシビルスクはロシア東方における産業、科学、文化の中心

ロシアでは、ネオナチ、スキンヘッドのグループが活動を活発化している。ヒットラーの誕生日(4月20日)、 ワールドカップの日本対ロシア戦の日(6月9日)、彼らは宣戦布告のもと、あるいは計画的に各地で暴動を起こした。しかし同じロシアでも、 シベリアの首都、ノボシビルスクでは様子が違った。

比較的治安がよく、穏やかな気質(=忍耐強さ)が根付いているノボシビルスクの人々は、日本人に対しては、とりわけ親切丁寧であった。 最も乱暴そうな、指の一本欠けたタクシーの運転手でも、お客が日本人とわかると、TOYOTAの車がどれほどすばらしいか、 武士道精神がいかに崇高か、を丁寧なロシア語で語ってくれる。道をふさいでいる乱暴そうな若者も、私が中国人ではなく日本人だ、とわかると 突然、姿勢を正し、道をゆずり、「日本のポケモンが大好きだ。黒沢明の映画も見ている。」と語りかけてくる。

ノボシビルスク市内の危険といわれる地区には、悪ぶっている大人や不良ぶっている若者がいないわけではないが、組織的なフーリガンの話は 聞いたことがなく、ネオナチの活動も耳にしたことがない。暴力は貧困に根を張るが、私が滞在した当時のノボシビルスクは全体的に豊かで、 教養、または「おばあちゃんの叱責」が若い人にも届く町に思えた。

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私がノボシビルスクに渡航したのは2001年だが、そもそものきっかけは10年前にさかのぼる。1991年、私は札幌の IT企業でシステムエンジニアとして働いていた。そして、ペレストロイカの波に乗りモスクワから派遣されてきた3人の ロシア人技術者といっしょに仕事をする機会をもった。このロシア人たちは、当時、UNIXという汎用コンピューターのシステム を知らなかったが、日本滞在中の3ヶ月で全てを習得、滞在中のごくわずかな時間で、 X Windowにより複雑な数学計算を必要とするグラフィックツールを開発した。 その理解の早さ、成果物の洗練された画面に私は衝撃を受け、 「ロシアに渡りロシア人技術者といっしょにシステム開発をする」というのが人生の目標になった。それから10年、 コンピュータ2000年問題が落ち着いたのを機に、私はロシア・ノボシビルスクに渡った。

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ノボシビルスク市は人口140万人、モスクワ、サンクトペテルブルグ、ニジュニノブゴロドに次ぐロシア第4の大都市だ。 シベリアの大自然の中で交通の要所として発展し、ロシア東方における産業、科学、文化の中心である。 つくば学園都市のモデルにもなった研究学術都市アカデムガラドクには、ロシア科学アカデミーシベリア支部をはじめ、 40近い国立研究所があり、市内には、更に40以上の大学がひしめき、ヨーロッパ、アジアの研究者が短期・長期滞在し、研究活動を行っている。

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戦時中、モスクワやレニングラードの文化的財宝をノボシビルスクに一時避難させた経緯から、 現在もノボシビルスクはロシア文化の一大中心となっている。オペラ・バレエ劇場を始め20以上の劇場やホールでは冬期間、 オペラ、バレエ、コンサート、演劇が連日開催され、モスクワやペテルブルグよりも安く、本場の芸術を見ることができる穴場として知られている。 シベリア国際見本市会場では、月2回の割合で様々な産業展示会が開催され、展示数量と展示面積においてロシア第2位、テーマの話題性、 品質、専門的な博覧会という点では、ロシアを代表する展示会場とみなされている。

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ロシア人は、モスクワやペテルブルグはヨーロッパであり、シベリアはアジアだ、と考えている。実際、ロシアの政治、経済が安定した現在、 ノボシビルスクと中国、韓国、極東との経済取引が非常に活発化している。フランス、ドイツ、アメリカ、韓国、 中国等から様々な訪問団が訪れ、実務協議を行っている。一方、日本の反応は遅く、最近ようやく、経済視察団がノボシビルスクを訪問しはじめたばかりだ。

2002年記

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